村社 多田神社
概 要
社 号 多田神社
読み ただじんじゃ
江戸期は多田妙見宮と称していた
楯縫神社 『国司文書・但馬故事記』
所在地 兵庫県美方郡香美町香住区丹生地840
旧地名 但馬国美含郡佐須郷丹生地楯屋村(のち丹生地)
御祭神
彦狭知命 『国司文書・但馬故事記』
御神紋
例祭日 10月3日
社格等
近代社格制度 旧村社
創建 白凰12年(683)
本殿様式 桁行一間、梁間一間、入母屋造、千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風付、柿葺 天明六年(1786) (棟札)
籠堂 桁行一間、梁間二間、宝形造、鉄板葺 明治
境内摂末社(祭神)
なし
文化財
一口メモ
神社へ行く道は、一般道ではないのでマップに表示されておらず、なんとか位置を調べると丹生地の一番奥で、香住道路近くの山の中にあるらしい。行く前から大変そうな予感がする。集落を奥へ進むと、三叉路に鳥居が建っていた。香住道路と平行する右の道を進むと、柵がある。「当区民以外の山菜採りは禁止します」と貼ってある。神社参拝なので慣れているし、自信を持って止め具を外して車で進むと斜め右手に道がある。直感でこれだと坂道のカーブをしばらく登ると、鳥居が見えた。鳥居から石段が続く。
歴史・由緒等
天武天皇白鳳12年9月本村開拓の祖楯縫連彦麿の創立するところと伝え楯縫神社と称す。
慶長9年(1604)3月朔日祠宇を改造し多田妙見宮といい、天明6年(1786)11月本殿を再建せり。
明治3年(1870)6月多田神社と改め同6年(1873)10月村社に列す。
明治34年(1901)本殿覆を再建せり。
「兵庫県神社庁」
人皇40代天武天皇白凰2年(673)秋8月、椋椅(くらはし)部連小柄を以って、美含大領と為し、郡家を長井邑に置く。(今の美方郡香美町香住区小原)
椋椅部小柄は伊香色雄命(イカシコヲ)16世の孫なり。12年(683)夏5月、美含大領・椋椅部連小柄に勅を奉じ、兵馬器械を具え(備え)、武事を講習し、かつ兵庫(ヤグラ)を伊久刀ノ丘に設け、兵器を蔵む(貯蔵する)。
嶋戸天物部命の裔・原造義踏(ヨシトモ)を召し、兵庫の典鑰(テンヤク)*1と為す。原造義踏は、兵主神を伊久刀丘に祀り、兵庫の守護神と為す。(伊久刀丘は 今の香美町九斗から浦上の神ノ浦山あたり?)
また楯縫連(タテヌイノムラジ)彦麿を召し、楯を縫わしむ。
葦田首鞆雄(アシダノオビト トモオ)を召し、刀剣鉾鍬を鍛えしむ。
矢作連鷹取(ヤハギノムラジ タカトリ)を召し、弓矢を作らしむ。
楯縫連彦麿は、その祖・彦狭知命を楯縫丘に祀り、楯縫神社と申し祀る。(いま田宮というはこれなり)浅香村は縦縫氏の部属(ミヤツコ)なり。(今の多田神社 丹生地)
葦田首鞆雄は、その祖・天目一箇命(アメノマヒトツノミコト)を鍛冶丘に祀り、葦田神社と申し祀る。(岡村の鍛冶宮・今の竈戸神社 上岡)
矢作連鷹取は、その祖・経津主命(フツヌシ)を矢作丘に祀り、矢作神社と申し祀る。(隼人の滝宮)*2『国司文書・但馬故事記』第六巻・美含郡故事記
[註] *1 典鑰 律令制において中務省に属した品官(ホンカン)である。和訓は「かぎのつかさ」。
*2 香美町隼人に矢作神社は現存せず、今は兵主神社がある。矢作神社が兵主神社となったのではないかと想定する。
境内・社叢
鳥居
参道
本殿覆屋
上岡の窯戸神社とよく似ており、同じ年代の同一彫物師ではないか
扁額 明治3年(1870)6月多田神社と改めたとあるので、それ以降のものか?
狛犬
地名・地誌
上岡・下岡
葦田首鞆雄(アシダノオビト トモオ)を召し、刀剣鉾鍬を鍛えしむ。
葦田が岡村となり、現在は上岡区・下岡区
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